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1月29日(日)は「殿上の闇討」。 「平家物語絵巻」での話しはこうだ。
清盛の父、平忠盛が初めて昇殿を許されたのは、鳥羽上皇のころ、天承元(1131)年のことである。
しかし、誇り高い公卿殿上人のうちには、これを快く思わない者がいた。
彼らは11月23日の五節舞いのある豊明節会の夜、忠盛を闇討ちする計画を練った。 これを人伝えに聞いた忠盛は、その夜参内すると、大きな鞘巻をわざと人目につくよう束帯の下に差し、物陰ですらりとその刀を引き抜いたりした。
彼らは、「忠盛が帯刀のまま禁中に昇ったのは、明らかに朝廷を怖れない無礼な行為であります。早速殿上人の地位から放逐すべきです……」と訴えた。
鳥羽上皇は驚いて忠盛を呼び出し事の次第を問いただしたところ、中身は木刀に銀箔を押したものであった。
上皇は、その用意周到さを賞して、なんのお咎めもなかったという。
殿上人は、五節豊明節会の夜、忠盛を闇討ちしようと謀った 「平家物語絵巻」
銀箔を押した木刀をかざしてみせた忠盛が、舞いを舞うと 「伊勢平氏(瓶子)はすがめなり」と囃したてられた 「平家物語絵巻」
鮮明画像はここから → 平家物語絵巻(更新中)
清盛の父、平忠盛が初めて昇殿を許されたのは、鳥羽上皇のころ、天承元(1131)年のことである。
しかし、誇り高い公卿殿上人のうちには、これを快く思わない者がいた。
彼らは11月23日の五節舞いのある豊明節会の夜、忠盛を闇討ちする計画を練った。 これを人伝えに聞いた忠盛は、その夜参内すると、大きな鞘巻をわざと人目につくよう束帯の下に差し、物陰ですらりとその刀を引き抜いたりした。
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